
匿名
直売所や道の駅等の自家製漬物類への規制が変わることで一部では「添加物まみれの漬物だらけになる」と騒いでます。でも食中毒を出さないための回避策は当然で、食品添加物=悪ならこれは必要悪。豆腐のにがりだって食品添加物なので、悪と考える人は豆腐も食べないのかな。食品添加物についてどのように思われますか。
添加物害悪論のほとんどは、科学ではなく宗教だと思います。それによって心の安寧を得ている人はいるし、信教の自由は保障されるべきではありますが、実際はそれで心をささくれさせたり社会をギスギスさせている人の方が多いような気もして、決して良い宗教とは言えないのではないかという印象を持っています。 「にがり」や「重曹」ならいいのか、みたいなことはあくまで科学の議論なので、その話は会話として成立しません。だから今回の自家製漬物のように、ある程度上から強制的に規制する必要は出てきます。加工食品のパッケージで無添加を表示することが禁止されたのもそういうことです。 と言いつつ一消費者としての自分は、購入するものを選ぶ時に、「無添加」を目安にすることは多いです。もちろんそれがより安全性が高いなんて露ほども思っていません。むしろリスクは高いでしょう。手作り漬物だってそうです。 しかしそういうものは、純粋に味が自分の嗜好に合っていることが多いのです。もう少し正確に言うと、「無添加」と「伝統製法」がセットになっているものを選ぶことで、僕は好みの食べ物を得る確率を上げているということになります。 これはおそらく、一般的な加工食品が徹底してコンフォートな味(食べやすく、満足感が高く、誰からも嫌われにくい味)を最優先とせざるを得ない中で、そういう食品はそこに縛られすぎないからだと思います。 世の中に無添加信者が一定数いてくれるからこそ、そういう食べ物はそれなりのマーケットを得ており、僕はそこにフリーライドしているとも、漁夫の利を得ているとも言えます。ズルいですけど、利用できるものは利用しないとね、という感じです。 もちろんこのロジックだと、時には「大ハズレ」を引くこともあります。「無添加であることに価値があるからマズくても許されるだろう」という商品は、だいたい見ればわかるものですが、時には見極めきれないこともある、ということですね。 以前輸入の「無添加・ヴィーガン仕様のトムカーガイの素」というものを買ったら、地獄のようなマズさでさすがに捨てました。これはまあ、見えてる地雷を踏みに行ったようなものでもありましたが、それにしてもそこまでとは思いませんでした。そう考えると日本の作り手はやはり優秀で良心的なのかもしれません。つい先日「国産無添加塩昆布」で軽いハズレを引いたばかりではありますが……。 僕のような理由で無添加を優先して選ぶ人がどれほどいるかはともかく、消費者が無添加を選んで購入すること自体は責められないと思います。しかし作り手がビリーバーになるのは、プロとしてどうなの、とは少し思います。大メーカーだとあまりそんなことはないかもしれませんが、個人の製造者や飲食店だと、結構な確率で、「無添加は身体にいいからそうしている」というビリーバーがいます。 そういうのを見ると、正直少し苦々しいものもあるのですが、困ったことに、(というか本当は別に困ってはいないような気もしますが)そういう人々が作るものもまた、自分の好みに合うことが多いんですね。これもまた加工食品の場合と似ていて、「マスに好かれる無難なもの」を作ることをはなから放棄しているからなのかもしれません。 もちろんこれにも大ハズレの可能性があります。ちょっと前に騒動になったマフィンとかね。でもまあこれは、加工食品以上に見分けはつけやすいと思っています。ヤバい(宗教的な)オーラが生々しいので……。 というわけで僕が望む理想の世界は、添加物に関する科学的な検証が(これまで同様)徹底され続けること、人々が妙なプロパガンダや陰謀論よりも専門の研究者による判断を尊重すること、その前提として科学と擬似科学を区別するリテラシーが育つこと、その上で本気で自分にとっておいしいものを求めること、その結果としてコンフォート一辺倒ではない多様なおいしさも一定割合以上支持されること、ということになります。 少なくとも自分が生きている間にそんな世の中は来ないだろうと諦めてはいるのですが。