匿名
私は料理において原理主義者です。なので基本的に魔改造された外国の料理はあまり好きではありません。しかしその理由を、その国への敬意以外にうまく説明ができません。いつかイナダさんも原理主義者であると主張されているのをお見かけしたことがあります。その理由をどのようにお考えですか?
なぜ原理主義者なのですかと聞かれたら、スタートには知的好奇心があるのは確かです。その料理の本来の姿を知りたい。そしてそれは相談者さんのいう敬意にもつながる話ですね。 聞いた人には、それだけ答えれば、原理主義者になる理由としては充分なのかもしれません。しかしここからはすっぽりおいしさの話が抜けています。おいしさより正しさが大事なんですね、と言われたら、いやいやさすがにそれはありません、と答えるでしょう。 少なくとも僕が原理主義者なのは、単にそっちの方がおいしいと感じるからです。もう少し正確に言うと、ローカライズされたものも原理主義的なものも両方食べた場合、後者の方がおいしいという体験を積み重ねた結果、「原理主義的なものの方が(自分にとっては)おいしい確率が高いのではないか」という推論が生まれたということになります。 この推論に基づくと、原理主義的なものを食べて初手ではおいしさがわからなかったとしても、それをわかるまで食べたいというモチベーションが生まれます。そしてそれを行なってその通りになる、という成功体験を重ねると、推論はますます強固なものになります。原理主義者の一丁上がりです。 ただし「本場そのままの方がおいしい」というのは、あくまで推論であり確率の問題なので、例外もあります。 例えば僕は、「町中華」的なものが元々あまり好きではなく、それよりは「ガチ中華」の方が好きです。そこだけを見れば完全に原理主義的と言えます。しかしそれ以上に好きなのは、日本人シェフ(の中の比較的若手、ということになるのでしょうか)がそれをさらに洗練させたものだったりします。そして最近、それは日本人に限らないことにも気がつきました。先日こっそりご紹介した酸菜魚専門店などがそれにあたります。 結局のところ、僕が何を求めているのかというと、原理主義的な「原作」をベースにそのダイナミズムみたいなものをしっかりキープしたまま発展・洗練させたものと、いうことになるのかもしれません。そして作り手としての自分が作りたいものもそういうものです。先日対談したタイ料理家の下関崇子さんはそれに近い概念を「発展系」と定義されていました。 逆に言うと、その方針を守って為されたローカライズなら大歓迎、ということにもなりそうです。これも中華で例を挙げると「名古屋式汁なし担々麺」はそういうものだと受け止めており、大好きな食べ物です。 しかし日本における一般的なローカライズはそうでないことの方が多いと感じています。「出羽の守」的に取られかねないのでびくびくしながら言いますが、日本におけるローカライズには、一定の傾向のようなものがあると思います。 それはすなわち、うま味か甘味、もしくはその両方をブーストし、匂いや酸味、油っこさ、辛さなどの「マズ味」を削る、という傾向です。それによってわかりやすく、とっつきやすい味にまとめるという方針ですね。 僕も日本人ですから、うま味たっぷりの甘じょっぱい味は好きです。でもそれは「ご飯のおかず」としてちょっぴりあればそれでいいと思っています。延々そういうものだけを食べ続けるのには向いていないのではないか、と。 そしてそれ以上に、マズ味を削ぐのはやめてくれ、と思います。マズ味は文化なので「慣れ」が必要なのは確かです。でもその慣れは自分でやるから、作る側が最初からそこに忖度するのはやめてもらえないか、と願うわけですね。 結果、そんな忖度が入り込む隙の無い「ガチ」を求めるし、そうは言ってもよりおいしいものは食べたいから、マズ味がもたらすダイナミズムを削がない形の「発展系」を望む、ということになるわけです。 ローカライズはドメスティックな概念で、発展系はグローバルな概念とも言えるかもしれません。 さて、もう充分にお気付きでしょうか、ここまで訴えたことは全て「周縁の民の論理」です。一般的な最適解からは遥か遠い。そのことは常に自覚しなければいけませんね、というのがフードサイコパスという概念の根幹です。 最近僕は、自分の原理主義的嗜好に改めて気付かされたことがありました。それがウスターソースです。歴史ある日本のウスターソースのどれよりも、自分はリーペリンソースを好んでいるということに改めて気づき、なんたる原理主義者、なんたる周縁の民かと自分でもあきれてしまいました。 国産ウスターソースはすでに歴史のある文化で、大小様々なメーカーが鎬を削って個性を競っており、もちろんどれもおいしい。僕だって「芋コロッケ一個で丼飯を喰らう」みたいなシチュエーションであれば、迷いなく国産を選ぶでしょう。この場合はコーミソースかしら。 でもそんなシチュエーションは滅多にありませんから、やっぱりリーペリンソースを求めてしまいます。もっと理想を言えば、リーペリンソースからの直接の発展系があればそれに越したことはありません。日本の優秀な食品メーカーの技術をもってすれば、それは充分可能なはずです。しかしニーズが(周縁にしか)ありませんので、商品化はありえないでしょう。 しかしカレーや麻婆豆腐などの世界では、近年それなりに原理主義的なものが全国流通商品として成立したりもしています。原理主義者が世の中を動かすこともある。相談者さんはこれからも、原理主義の素晴らしさを世に訴え続けてください。敬意を払うべきだ、ではなく、それがおいしいからだ、と。
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