匿名
二郎/二郎系文化についてのイナダ論を聞いてみたいです。 完全にカルト的でありながら、間口は広がり続けているように思えます。 美食とは呼び難いあの現象をイナダさんはどう捉えておられますか。ちなみに僕は数年前大ハマりして、今は適度な距離で嗜好しています。
世の中には「勝手においしくなる料理」というものが存在していると思っています。例えば豚汁とかポトフとかシチューとかそういった類の食べ物。本能的かつ合理的な料理とも言えると思います。 僕の中で二郎系はそんな系譜の食べ物のひとつととらえています。考えようによってはシチューの分解再構築ですし。 個人的にガッカリするとんこつラーメンや醤油ラーメンには度々出会ってしまいますが、二郎系でマズいものって、少なくとも僕は出会ったことはありません。 もちろんその微妙な優劣や好みの差を追求するジロリアンには、それはそれで敬意を表しますが、自分はそれとは少し違う楽しみ方をしているような気がします。どこか、中央アジアあたりの架空の伝統料理に対峙するような感覚です。堂々たる美食だと思います。 ただ「二郎系文化」といいますか、諸々のしきたり、特に量をこなすことを徒に重視する感じや、それを自虐風自慢風自虐に落とし込むストーリーテリング、そういったものが、せっかくの普遍的な美食としての価値をかえって矮小化してしまっている気はしていて、そこがちょっともったいないなとは思います。