
匿名
ミニマル料理、おうちごはん革命で紹介されているレシピでは頻繁(私の感覚では)ににんにくが登場することに驚きました。わが家、というよりうちの家系ではにんにくを「外で食べるもの」と認識しており、家庭で使うことが一切なかったからです。著者様に対し大変失礼ながら、代用しても成立しそうな食材はあるでしょうか?
この感覚はすごく面白いですね! 実は僕は『ミニマル料理』において、逆にむしろ「ニンニクを使いすぎない」ことを意識していました。 「だけスパ」に顕著ですが、家庭料理においてもすっかり浸透した「オリーブオイル+ニンニク」のフォーマットに対して、温故知新的にバターを置き換える、という狙いがひとつあります。 他には例えば「ザ・シチュー」や「ミニマル焼売」も、普通に考えたらニンニクの一片くらい入りそうなところを入れてません。ニンニクは、ミニマルに削ぎ落とす際の削ぎ落とされる方の対象でもありました。 ミニマル料理のルーツのひとつである昭和の料理本ももまた、ニンニクがあまり登場しません。料理本だけでなく当時の食エッセイなんかを含めて見渡しても、1970年代くらいまでは、ニンニクはもっと特殊な食材として描かれている印象があります。 それはあくまで外食(餃子や焼肉)で使われるものであり、日本人にはキツすぎて、はっきり好き嫌いが分かれるもの、時にはやせ我慢して食べるもの、という扱われ方です。 どこか現代におけるパクチーとよく似た立ち位置にも見えます。パクチーがどこかおしゃれサブカル的であるのに対し、ニンニクは男らしさ、男まさり、みたいなある種のマチズモと結びついているという違いはありますが。 そういえば確か桐島洋子さんのエッセイの一節に「これからは女も堂々とニンニクを食べよう」みたいなのがありました。フェミニズム、というか当時の言葉で言う「ウーマン・リブ」的な文脈です。 そういう状況の中で、今の「イキりパクチー」みたいに「イキりニンニク」的なものもあったような気がします。僕の祖母も思えばちょっとそんなケがあったかもしれません。彼女は当時普通には売っていなかったキムチ(その頃は朝鮮漬けと呼ばれていました)をどこからか手に入れてきて「ニンニクが効いてておいしいのよ〜」と、嬉しそうに食べていました。イキっていたかどうかはともかく、家庭内でキムチを好んで食べる、というのが割と特殊なことである、という意識は共有されていたと思います。 その後イタリアンが流行り、韓国料理もみんなのものとなり、いつのまにかニンニクはごく当たり前に家庭で使われる食材になりました。ニンニクチューブはもはや常備調味料のひとつで、ネットから流行るレシピにおける常連でもあります。 相談者さんのお家には、そうなる前の時代の空気が大事に保存され、受け継がれてきたのですね。 すみませんようやく本題です。 ニンニクの置き換えに関しては、ひとつはフランス料理がヒントになりそうです。フランス料理やイギリス料理では、イタリア料理ほど頻度的にも量的にもニンニクが使われません。代わりに使われるのがエシャロットですね。日本のスーパーだと生食用のラッキョウがその名前で売られていることがありますが、この場合はベルギーエシャロットという名前で売られてる小さな玉ねぎみたいな野菜です。これをさらに玉ねぎで置き換えるというのも無しではないと思います。 また僕は、普通なら「ニンニク・生姜」を使うような料理でそれをどちらかだけにする、ということをよくやります。そういう意味では、ニンニクを生姜に置き換えられるケースもあると思います。玉ねぎへの置き換え以上に仕上がりは別物になりそうですが、それはそれでおいしい物になることもありそう。 例えば「ミニマル麻婆豆腐」は、どう考えてもニンニク必須な料理ですが、これを生姜にしても、それを麻婆豆腐と呼ぶかどうかは別として、なかなかパンチの効いた別のおいしさになりそうです。 「おうちごはん革命」の方は、少し意味合いが変わってきます。これは世界のスパイス料理をお家で気軽に作ろう、というのがコンセプト。ニンニクは香味野菜であるとともに、最重要スパイスのひとつとも言えます。ニンニクはスパイス(特に唐辛子)の文化と分かち難く結びついています。なので置き換えを行うと意味合いが大きく異なってきます。なのでこちらは、もし置き換えるとしてもガーリックパウダーまでですかね。 かつてアメリカも日本と同様、ニンニクを特別視する食文化でしたが、ガーリックパウダーの発明以降、使用量が爆発的に増えたと言います。そういう意味で、取り入れやすい調味料と言えるのかもしれません。 ただしこちらも、置き換えると基本的には別物になります。 なんかもうこの際思い切ってニンニクを導入してほしいような、でもやっぱり今どき貴重な家庭文化を守り通して欲しいような、今そんな複雑な気持ちです。