
匿名
人気YouTuberの動画とかをみていると、安いラーメンとか食べて「こういうのでいいんだよ、こういうので」みたいな枯れたオッサン的なセリフが定番になっていたりします。これについてイナダさんが思われるところはあるでしょうか。
これ、元ネタは「孤独のグルメ」でゴローちゃんが、昔ながらの庶民的なハンバーグ定食を目の前にして言ったセリフですね。 これは現代で言うところの「こだわりの〇〇」「バエる〇〇」みたいなものに対するアンチテーゼであり、食べ物の本質な喜びを、何にも惑わされずに享受する(実にこの作品らしい)象徴的なシーンです。 一方でゴローちゃんは、別のところで「そういうのもあるのか」という名言も残しています。これは元は、定食屋で「持ち帰り」ができることを知った時の素直な驚きでした。 これもまた現代のネットミームとなっており、それまで知らなかったパターンや組み合わせの料理を発見した時などによく使われています。つまり未知の食文化の受容です。 そもそもゴローちゃんは食べ物に対するコストを惜しまないキャラクターとして描かれています。 これは単に、飲食店での注文数が多く支払額が高くなる、というだけの意味ではなく、初めての店にも臆せずひとりで入り、知らない料理にも果敢に挑戦する、ということです。そういう人物がたまさか発する「こういうのでいいんだよ」だから、そこには説得力が生まれるんですね。 だから、「安くてありふれた食べ物で満足する自分」を自己肯定するためだけの文脈でこの言葉が使われるのにはちょっと抵抗があります。 元になったハンバーグ定食のシーンを現代の目線で見ると、ちょっと面白いことに気付きます。 そのハンバーグは(圧倒的な画力も相まって)、そのシズルやプレゼンテーションなど、かえって今ドキの流行りに近いものに見えるのです。 「町中華」や「大衆酒場」のリバイバルブームなんかにも現れてますが、こういうものは現代のトレンドの重要な一角とも言えるのかもしれません。 長引く不況やコロナ下で、人々が卑屈になることなく、そういう食べ物にポジティブな価値を見出すというのは実に健全だと思います。 しかし同時にそれは、飲食業はもうこれ以上発展する必要は無いのだ、と言われているようで、僕としては複雑な思いもあります。 そういう意味で「こういうのでいいんだよ」は、あくまで温故知新や価値の再発見といった文脈で使われてほしいし、それは「そういうのもあるのか」と代わる代わる交互に使われてほしい、そんなふうに思っています。