
匿名
最近、お肉と根菜をだしで炊くことに違和感があります。野菜の味も匂いも癖が少ないので、だしが目立ちすぎてお肉と合っていない気がするのです。私の調理技術の問題という可能性は大きいと思いますが、流通する素材の質が変わって従来的な調理法ではズレを生んでいる気がします。何かご意見を頂けないでしょうか。
20代の頃和食の修行をきっかけに、僕はそれこそ何にでもダシを使う習慣が身につきました。しかしその後(インド料理の経験を経たこともあり)、今では「本当に必要な時だけ」しか使いません。ヘタしたら普通に考えたら必要な時にも使わず、使わないことによる新しい(少なくとも自分にとっては新鮮な)おいしさを探ってみたりもしています。 そんな中で言うと、肉を使った煮物にダシを使うことはすっかりなくなりました。「大根と豚バラの煮物」や「手羽先と里芋の煮物」あたりはもちろん、「豚汁」や「筑前煮」にも使わなくなりました。だって必要ではないし、その方がおいしいと思うからです。 その方がおいしい、というのは若干語弊があるかもしれません。なぜなら、使ったら使ったで、そこには違うタイプのおいしさが現れてくるからです。でもその方向性のおいしさは、外食で簡単に得られます。だったら家では違うタイプのおいしさ、外食ではそうそう得られない特別なおいしさを手に入れたい。そういうことです。 流通する野菜の味が変わったからそれをおいしく感じるようになったのでは、という相談者さんの仮説はかなり興味深いです。なぜなら日本料理において、茹でこぼしたり水にさらしたりすることで徹底的に野菜の雑味を取り除き、その過程で失われた旨味はダシで補う、という手法は極めてオーセンティックな考え方だからです。 ただし個人的な実感から言うと、それは決して本質的な問題というわけでもないような気はしています。 もう少し単純に、「複雑なおいしさに(幸か不幸か)慣れきってしまったからシンプルなおいしさに惹かれる」とか、「旨味豊富なおいしさもあれば旨味控えめなおいしさもある」みたいな、言うなれば「多様性の享受」こそが、この話の本質なのではないか。そんなふうに思っています。