
匿名
蕎麦の記事を読んで気になったのですが、蕎麦前を楽しむための天抜きや鴨抜きは、初めて行く店で頼むと失礼に当たるでしょうか? そのお店が注文に対応してくれるかどうかは聞いてみないと分からないとして、初訪問で抜きの注文をすると「初めてウチで食うのに抜きだぁ!?」と思う主人もいるのかな、と心配しています。
お恥ずかしながら、僕も昔は「ぬき」のことをちょっとツウなつまみ、と少し勘違いしていた頃がありました。メニューにない店でそれを頼むと「お主、やりおるな」的な。そうなるのが嫌で頼みづらくもあるもの、というイメージです。 しかし今は、違う意味で頼みづらくなっています。蕎麦屋の歴史をいろいろ知った今となっては、(これは完全に想像ではありますが)「天ぬき」の始まりって、たぶんこんなことだったんだろうと推測できるからです。 「チョイトおかみさん、板わさも無くなっちまったから、酒の肴に天ぷらだけ出してくんねえかナ」 「ナニ言ってんだい、蕎麦屋の天ぷらってのはね、冷めてるしコロモは分厚くしてあるし、そのまま食べたってちっともおいしかないよ」 「おいしかないってずいぶん正直モンだねこのおかみは。いったいそういうもんかね?」 「そういうもんさ。蕎麦屋の天ぷらってのはね、蕎麦にのせたらおいしくなるの。天ぷらは柔らかくなるしお汁も味が良くなるのさ」 「ジャアわかった、天ぷら蕎麦一パイあつらえとくれ。しかしそうさなあ、蕎麦はいらねえ。天ぷらと汁だけだ」 「おかしなことを言うね、このしとは。蕎麦が入らない天ぷら蕎麦なんて聞いたことないよ」 「いいんだよ、お代は天ぷら蕎麦と同じだけ払うからサ」 「いいのかい? 仕方ないねえ……」 「……オウ、来た来た。なかなかいい風情じゃねえか。ハムッ、ズズッ、ズズッ、こりゃあ良いもんだね。酒も進むってなもんですよ。おかみさん、もう一本つけてくんな」 「ハァ。そんな酒ばっか飲んで、身体に悪いよ。蕎麦は食べてかないのかい?」 「蕎麦はまた今度にしとくよ」 するってえと亭主が顔を真っ赤にして奥から出てきまして、 「おいこらてめえ、蕎麦屋に来て蕎麦を食わねえたあ、いってえどういう了簡だッ」 「まあそうカッカしなさんなって。酒が沸いちまうじゃねえか。蕎麦は抜いても酒の気は抜いちゃいけねえ」 こういう時代を経て、調理器具やインフラの整備で、蕎麦屋では揚げたての天ぷらが出せるようになり、単品のつまみとしても堂々と出せるようになった、そうなるとそれを台抜きとして出すなんて、今だに揚げおきでやってる前時代的な遅れた蕎麦屋のやること、みたいになっていったのではないかと思うんです。 その一方でいつの頃からか、おそらくお店側ではなくお客さん側が、それを古き良き通好みの一品として持ち上げ始めた、みたいなのが今ココなのでしょう。その流れに乗っかった蕎麦屋さんもあれば、そんなの知ったことではないという蕎麦屋さんもある。 それに気付いたきっかけがもうひとつあります。ある店で天ぬきを頼んだら、かけより明らかに濃く整えた汁に天ぷらが浸って出てきたことがあって、なるほど天ぬきの汁は元々明確にsoupではなくsauceと認識されているのかもしれない、と気付いたんですね。そもそも東京におけるかけそばの発祥時点で考えても、そう考える方が自然なわけです。 そうであれば、揚げたての天ぷらに天つゆが付いてくる現代の蕎麦屋で天ぬきを頼むのはますますナンセンス、ということにもなりかねません。 とは言え現代のややsoup化したかけ汁の天ぬきには、天ぷら+天つゆにはないおいしさがあるし、鴨ぬきやおかめ抜きにはまだまだ明確な存在意義もあると思います。 だから結局、頼みたきゃ頼めばいいって話ではあるんですが、ここまで書いてきたことをふまえるとこういうことになると思います。 「頼んでみるのはいいが、嫌がられても断られても不思議は無い程度には邪道と心得よ」 本来の精神に則った正しい天ぬきを楽しむなら、むしろ富士そばがおすすめかもしれません。ちゃんと揚げ置きの天ぷらで出してくれますからね。