匿名
先日久しぶりに市販のお茶漬けの素を使ったのですが、パッケージに記載通りの分量だと塩分量がおかしい(塩辛すぎる)と思いました。 経験では、お店のお茶漬けも家庭のお茶漬けももっと優しい味なのですが、私の知らないお茶漬けのバリエーションがあったりする可能性も?と思い質問させて頂きました。
永谷園のお茶づけを指定通りのお湯で作ると、その液体の塩分濃度は約1.5%です。これはスープとしてはかなりしょっぱいです。しかしお茶漬けトータルで見ると、1.5%の汁150g+ご飯100gで、これは適正な味付けと言えます。そしてこのバランスは、醤油味か塩味を別にすれば、例えば関東のかけそばなんかとも似ています。つまり液体部分はそれだけ飲むためのsoupではなく、ご飯を味付けするためのsauceとして機能しているわけです。どこか江戸前蕎麦の古典メニュー「花巻」も思わせます。 本来のお茶漬けは、もちろんお茶をかけます。ただしそこにごくしょっぱい漬物や佃煮なんかが加わることでトータルの味付けが完成します。 現代の居酒屋などお店で出されるお茶漬けは「だし茶漬け」がほとんどで、こちらはsoupとして飲める汁に、ほどほどしょっぱい具が加わって完成です。 つまり、 ①本来のお茶漬け ②料理屋のだし茶漬け ③永谷園のお茶漬け この3つは、全てお茶漬けと名がついていますが、全くと言っていいほど違う料理です。 永谷園のお茶漬けは、「小料理屋のお茶漬け」をモチーフに作られたそうです。それがどういうものであったのかが、昔からとても気になっています。①ではなかったことだけは確かでしょう。①は当時普通に家庭で食べられており、だからこそ永谷園はそれとは明らかに異なる物を作ろうとしたはずだからです。 ではその小料理屋のお茶漬けは②だったのか。これに関しては2つの考え方があると思います。 ❶当時の技術では②を乾燥材料だけでそのまま再現することは不可能だったので、永谷園が大胆にアレンジした。 ❷当時の小料理屋で(味の素などを駆使して?)永谷園のようなお茶漬けが提供されていたが、その後すたれて②が市場を制圧した。 ❶であれば、さすが永谷園! というプロジェクトX的な話として面白いです。後に世に出る永谷園の「鮭茶づけ」は、実は原典に一歩近付く先祖帰り的なものでもあった、みたいな話も。 でも個人的には❷だと食文化史の徒花的でさらに興味深く感じます。鮭茶漬けは②が隆盛し始める当時のトレンドをキャッチしたものであったということになるでしょうか。 戦後間も無くから続くようなお店でもし③のタイプのお茶漬けに出会えたら❷の物証になりそうな気もしますが、しかしその場合、それが永谷園の影響で後から生まれたものである可能性が否定できず、もはや検証は不可能な気はします。 もしかしたらルーツのルーツは京都なのではという気もしているのですが、推論に推論を重ねることになるので、ここでいったんやめておきます。